【西園寺と周辺の人々】


   西園寺公望  (1849-1940)

  ・政治家/公爵
  ・京都出身
  ・号「陶庵」/俳号「不読」
  ・第2代政友会総裁
  ・組閣2回/元老
 徳大寺公純の二男。維新の際に軍功を立て、のち仏留学。帰国後、東洋自由新聞社社長となるが辞任し、官界入りする。公使などを歴任したのち、第2次伊藤内閣文相となり政界入りを果たす。伊藤が立憲政友会を組織した時にも参加し、第2代政友会総裁となり、2度首相を務める。1919年のパリ講和会議には主席全権委員として参加。昭和期には最後の元老として内閣首班の奏薦に当った。

・食にまつわる話
 美食家、としてのちに有名になる西園寺は大変食いしん坊であった。大正、昭和の二代にわたって天皇に料理番として仕えた秋山徳蔵は「デリケートな味覚」の持ち主で「食べ物については、世にもやかましい人」だったと述べている。明治3年に長崎へ行く船中はすべて洋食だったが、かなりの品数の料理を食したという。とりわけシャンパンに氷を浮かべたものや、砕いて砂糖をかけた氷が気に入ったようだ。パリでの生活を綴った手紙にも「何時に何を食べた」という内容が多くある。

 「朝五つ頃、茶菜及びパンなど少々喫す。
  正午、パン、鶏肉、吸物、青物、酒少々。
  七つ、パン、ソップ、魚類、牛肉或いは羊、芋、ニンジンなどの煮もの、果物、ブド―酒。」

 帰国して官界入り、政界入りしてもその食いしん坊は止まることを知らなかった。ドイツ公使時代には「独逸は食べ物がわるといふので、ひまさへあればパリ―へ遊びに行き」、第1次文相を終えた後に行ったフランスでは「台所に降りて来て鯖の皮のむき方」などを講釈し、日本に居るときには漬物を漬けたりすることもあったという。

 また同じ献立では気に入らなかったために、西園寺家に出入りする料理人は苦労した。はじめは大阪の料亭灘万に板前を一年交代で頼んだが、気に入らないと箸をつけないのでたいていの料理人は一年居るか居ないかであった。好物は羊のステーキや鮭のバター焼き、庶民の魚や、サンマなどで、朝は毎日「おみおつけといり卵、それも土鍋で底にこげつき加減がなかなかむつかしく大粒のいり方」をしたものでなければならなかった。ホウレンソウのおひたしと納豆なども食べることがあった。食べたものの由来が解ることでも料理人を悩ませており、一度、秋山が持参したうなぎが「大和田」のうなぎではなく河岸の天然鰻であることを見抜いたという。水にもこだわりがあり「ルルドの鉱泉」を取り寄せてブランデーと一緒に愛飲していた。ブルゴーニュ産の葡萄酒が好みで、好きな日本酒の銘柄は「島鯛」。

 どうやら人の食の好みも覚えていたようで、昭和2年1月29日に時の首相若槻礼次郎から西園寺に伝言を頼まれた原田は夜中の2時すぎに坐漁荘を訪問した。その時に西園寺はベランダに日本酒の銚子と盃、それから寒いなか来た原田を労うためか、原田の大好物のうどんを用意してまっていたという。


参考:内山『西園寺公』(中大/1942)    豊田『公望伝 上』(新潮社/1982)
   勝田『重臣たちの昭和史 上』(春秋/1984)
   立命館『公望伝 1、2』(岩波/1990-91)
   伊藤『元老 西園寺公望』(春秋/2007)
   黒岩『歴史のかげにグルメあり』(春秋/2008)




   原田熊雄  (1888-1946)

  ・政治家/男爵
  ・東京出身
  ・西園寺の秘書/住友社員
  ・貴族院議員
 地質学者・原田豊吉の長男。画家の原田直次郎は叔父。大正4年日本銀行に入社し、11年に渡英、13年には加藤高明の首相秘書官を務めた。15年住友合資に入社し、昭和6年に貴族院議員に互選、ついで西園寺の秘書になる。以来、15年西園寺の逝去まで、朝野にわたり西園寺と連絡を取り重要国務の表裏で活躍する。この間、四百数十回にわたる口述記録を残し、没後には『西園寺公と政局』と云う題で出版されている。なお、この口述記録は東京裁判で証拠として引用され、また昭和天皇も目を通したと云われる。

・秘書として
 原田の日々は西園寺との連絡、電話、来客、要人廻りと目まぐるしいような忙しさで、そのため大変せっかちであったと云う。「彼自身、この話ならばあすこへ行つて聞いておいた方がいいとか、あの人の耳へもちよつと入れておく必要があるとか、自分の思いつきで駆けずりまわるんだから、ほんとうに積の温まる間もなかつた。」
 ただ友人知人に対しては実に誠実だった。「思いつきで駆けずりまわる」ために西園寺の秘書として心配する声も多かったと云うが、原田の「正義感」は西園寺への「誠実さを通して」西園寺の「合理主義の結論の線に沿って成長した」ためにその心配は杞憂に終わった。また西園寺に対しての復命や報告についても自身の主観を挟むことは一切なかった。
 原田の忙しさを象徴するのが電話に関する逸話である。新聞に電話機を小脇に抱えて走るイラストが掲載されるほどの電話魔で、電話好きの熊さん“電話に齧りつく熊さん”だったという。友人らの間では「電話屋」などの渾名がつき、クリスマスプレゼントには玩具の電話が贈られたり、更に、亡くなった時には棺の中に電話を入れるか、と云う話になったらしい。

・逸話など
 明るく快活な性格で交友関係も広く、冗談なども好きだった。大好物はうどん、好物はラッキョウ。原田はラッキョウを大磯の商店で見かけると自分で買い、また漁師と町中で話し込んでそのまま家へ連れて来たりするなど、華族と庶民の区別、職業や貧富の差別を全く見せない、当時としては大変庶民的な人だった。趣味はカメラや映画で、特に、井上三郎から貰ったカール・ツァィス社製スーパー・イコンタ(スーパーセミイコンタ?)がよほど気に入ったのだろう、何処へ行くにもぶら下げていって貴重なスナップを残した。

・『西園寺公と政局』(『原田日記』)
 原田は1週間前後の出来事ならその間「何をした誰と話した」などの内容を正確に再現することが出来たという。『日記』は忙しい時間の最中に、毛利式速記術の名手であった近衛泰子(近衛秀麿夫人)を麹町平河町の自宅へ呼び、口述した記録である。昭和18年の8月ごろに原田はこの『日記』の編集を里見クに依頼した。『日記』の原稿は住友本社の地下の金庫にしまってあり、里見が住友本社へ行くと「原田係のようになっていた」住友の益田という社員がその金庫から出す、帰る時にも金庫へしまって帰るなど厳重に扱われていた。


参考:勝田『重臣たちの昭和史』(春秋/1984)
   里見「原田日記が世に出るまで(対談)」『世界』(岩波/1955)
   西園寺公一『貴族の退場』(筑摩/1995)




   陸奥宗光  (1844-1897)

  ・政治家/伯爵
  ・紀州和歌山出身
  ・号「福堂」など
  ・著書「蹇蹇録」
 ・逸話など
  「カミソリ大臣」として名を馳せた陸奥であったが、茶目っ気たっぷりの面もあったようだ。陸奥の肺病に神経質な加藤高明はそうとう閉口し、馬車に同乗した時は決まって窓を開けていた。それを察した陸奥はすぐまた閉めるように命じたり、わざと食べかけの菓子を与えるなど色々悪戯をしては面白がっていたらしい。

to be continued....




   松田正久  (1845-1914)

  ・政党政治家/男爵
  ・肥前小城出身
  ・号「世龍」など
  ・衆議院議員

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   原敬  (1856-1921)

  ・政治家/公爵
  ・陸奥盛岡出身
  ・号「一山」など
  ・第3代政友会総裁/組閣1回
・逸話など
 約172p、約63sの比較的がっちりした体形であった。定食と食後の菓子、果物類などは相当食べていたらしい。また、中華料理が好物だったという。朝鮮公使時代にアルコール中毒で悩まされて以降、酒は日本酒も洋酒もそれほど飲まなかった。
 物持ちがよく、東京駅で刺された時に着ていた洋服は、第1次内相後にパリで仕立てたもので、足掛け15年の付き合いであった。
 趣味は豆粒大の人形を集めること。中には欧州時代に買ったものもあり、恩賜品や焼物、土器などが飾ってある応接間の陳列棚に幾百となく飾ってあった。ただ物欲とは縁遠い人物であったため、大した骨董品は持っていなかった。その「貧弱な焼物」や豆粒のような人形のコレクションを見せてもらった人たちは、よく高橋光威にたいし「オイ君のトコの親分の宝物を拝観して来たよ」とからかったという。
 とにかく親孝行で有名であった。

to be continued....





【留学時代など】


   中江兆民  (1847-1901)

  ・政治家/思想家
  ・土佐高知出身
  ・号「兆民」など。名は篤介
  ・衆議院議員
  ・ルソーの翻訳で有名。
 ・その後
  中江の死後、息子・丑吉は1914年に帝大法科を卒業し、中国へ渡った。彼は42年に没するが、その人生の大半を北京で暮らし、中国古代の政治思想史の研究に費やした。遺著として『中国古代政治思想』(岩波/1950)があり、その研究生活を経済的に支援した1人に西園寺がいた。西園寺は丑吉を「よく兆民に似てい」たといい「如何にもまじめな篤学の人」と評している。

to be continued....




   光妙寺三郎  (1848-1893)

  ・外務官僚/検事
  ・長州三田出身
  ・衆議院議員
  ・稀代の「高襟」で有名。

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【内幸町の人々】


   竹越与三郎  (1865-1950)

  ・政治家/歴史家
  ・武州本庄出身
  ・号「三叉」
  ・政友会代議士/貴族院議員
  ・枢密院顧問官

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   酒井雄三郎  (1860-1900)

  ・評論家
  ・肥前小城出身

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【政友会の周辺人々】


   岡崎邦輔  (1854-1936)

  ・政治家/実業家
  ・紀州和歌山出身
  ・号「晩香」
  ・衆議院議員/貴族院議員

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   金子堅太郎  (1853-1942)

  ・法務官僚/政治家/子爵
  ・筑前早良出身
  ・貴族院議員   ・籐門の四天王の一人

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   末松謙澄  (1855-1920)

  ・政治家/ジャーナリスト/子爵
  ・豊前出身
  ・衆議院議員
  ・籐門の四天王の一人

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   尾崎行雄  (1858-1954)

  ・政党政治家
  ・相州津久井出身
  ・号「咢堂」   ・衆議院名誉議員
  ・「憲政の神様」「議会政治の父」

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   長谷場純孝  (1849-1940)

  ・政治家/公爵
  ・京都出身
  ・第2代政友会総裁
  ・組閣2回/元老

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   横田千之助 (1870-1925)

  ・政治家/実業家
  ・下野足利出身
  ・政友会幹事長/衆議院議員

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   床次竹二郎  (1867-1935)

  ・官僚/政治家/
  ・薩摩出身
  ・衆議院議員
  ・初代政友本党総裁

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【その他(政治家)】


   伊東巳代治  (1849-1940)

  ・政治家/公爵
  ・京都出身
  ・第2代政友会総裁
  ・組閣2回/元老

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   加藤高明  (1849-1940)

  ・政治家/公爵
  ・京都出身
  ・第2代政友会総裁
  ・組閣2回/元老

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【その他(軍人)】


   桂太郎  (1848-1913)

  ・軍人/政治家/陸軍大将/公爵
  ・長州出身
  ・組閣3回/
  ・立憲同志会を組織

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【その他(文化人)】


   国木田独歩  (1849-1940)

  ・政治家/公爵
  ・京都出身
  ・第2代政友会総裁
  ・組閣2回/元老

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   森鴎外  (1849-1940)

  ・政治家/公爵
  ・京都出身
  ・第2代政友会総裁
  ・組閣2回/元老

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【その他(縁のある人々)】


   徳大寺実則  (1849-1940)

  ・政治家/公爵
  ・京都出身
  ・第2代政友会総裁
  ・組閣2回/元老

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   住友友純  (1849-1940)

  ・政治家/公爵
  ・京都出身
  ・第2代政友会総裁
  ・組閣2回/元老

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